くれたけ心理相談室福岡支部の平山幸聖(ひらやまこうせい)と申します。数あるサイトの中からアクセスしていただき、ありがとうございます。今回はお題をいただいたので、それについて綴ってみます。

子供のころは何になりたかったか。色々ありますが、ざっとこんな感じでしょうか。

・路線バスの運転士
・鉄道車両のデザイナー
・新聞記者
・アナウンサー

【路線バスの運転士】

自宅から繁華街や駅に向かうときに、必ず利用するのが路線バス。あの大型バスを運転する運転士さんを見て「なんてかっこいいんだろう」と幼心に思っていました。当然、バスに乗ったら一番前の席に座り、運転士さんの一挙手一投足を観察していたことを、今でもよく覚えています。

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▲福岡市内を走る西鉄バス。福岡市内のそこらじゅうで走っています(2014.8.13 福岡市の渡辺通りにて撮影)

大人になってみると、バスの運転士さんって、人の命を預かる大事な仕事だと気づきました。通勤・通学する人、恋人に会いに行く人、これから試験に臨む人…。乗客たちは、自分の生活を運転士さんのハンドルさばきに預けるわけです。果たしてこんな仕事、自分に務まるのだろうか?と思いはじめ、あくまでも一人の乗客・乗り物好きとして楽しもうと思うようになりました。

【鉄道車両のデザイナー】

小学校を卒業するまで、よく電車の絵を書いていました。決して絵心があったわけではありませんが、電車の絵だけは他の子よりも上手かったような気がします(笑)。

将来は自分の手で電車をデザインできればいいなと思っていましたが、創造性(クリエイティビティ)に乏しいことに気付き、その道ではないと気付いた次第です。

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▲JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」です。こんな列車、自分は創造できないでしょうね(2013.10.17 豊肥本線阿蘇駅にて撮影)

【新聞記者】

小学校・中学校で学級新聞をつくっており、手前味噌で恐縮ですが、先生方や他の生徒たちからの評判が上々でした。「書くことで人に喜んでもらえる」と感じ、将来は新聞記者になろうと思うようになったのです。

大学時代の就職活動では、新聞社やテレビ局を中心に受験しましたが、連戦連敗。最後は運だけで、福岡の生活情報紙を発行する新聞社に、広告営業担当として滑り込み、時々広告記事を書くこともありました。

新聞記者として何を伝えたかったかと問われれば、明確な答えを持ち合わせていたわけではありません。そういう意味では、仮に新聞記者になったとしても、続かなかったでしょう。

【アナウンサー】

これは、先の新聞記者の延長線上です。アナウンサーになってテレビの前に出れば、より多くの人に様々なことを伝えられ、離れて暮らす両親や祖父母に自分の姿を見てもらえるのではないかと思っていました。

また、大学時代、フジテレビの露木茂アナウンサー(当時)が、日航ジャンボ機墜落事故のニュースを原稿なしで伝えたということ聞き、「なんてすごいんだろう」と感じました。ただ、半ば「自分には無理かも。でも、なれればいいな」と思う程度で、本気で目指していたわけではありません。今でもテレビに出る人への憧れがないわけではありませんが、「その席を温めるのは自分以外の誰かなんだろうな」と思うことも、しばしばあります。

子供の頃に描いていた夢をそのまま叶えるのも素敵なことです。その一方で、様々な経験をして夢を見つけ、その夢の実現の実現に向かって走ることも素敵なことだと思います。私は、どちらかといえば後者でしょうか。子供の頃の夢を振り返って、自分の進む道をカウンセラーといっしょに考えるのも、いいかもしれませんね。

ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

それでは、また明日…。